2009年6月4日木曜日

振り出しに戻って(2009年1月22日の日記より)

振り出しに戻って:

この一年は、普通の人に混じって仕事をすることは不可能だと自分に納得させ、回りにわからせるための実験だったのかもしれない。行進も手拍子も人と合わないのに、どうして日本人と仕事ができるだろうか。もうそのオプションはやめよう。爽やかな気持ちだ。そして、次の一手を考える時に来ている。次の戦場へ。

2009年2月13日金曜日

綿矢りさ:「インストール」より

P21

この廃墟の隅に私の部屋がそっくりそのまま移っていた。即席で作られたドラマのセットのように、私がぶっとおしで運び続けた家具たちがゴミ捨て場の端でコの字型のちいさなバリケードを作っている。その見慣れた家具の城の中に入っていき、椅子の上にコンピューターを置く。と、その途端なんだか途方にくれてそのままアスファルトの地べたに座り込んでしまった。地面が冷たい。学校へちゃんと行っていると母に思わせるために着てきた制服のスカートに、車が垂らしていったガソリンの油が染み込んでいくのが分かる。けどそれが?それよりこれからどうしましょう?駐車場から車が出てきて私の後ろを通った。地面からの振動が背中に伝わり脊椎が細かく揺れる。不意に大きな風が吹き、そのせいで沢山並んでいるタンクに山積みされた薄汚いゴミ袋の一つから、結び目がほどけているのか、黄ばんだ紙が次々と飛んだ。それらは宙を舞いながら駐車場のほうへ転がっていき、隅っこの暗がりに積もっていく。それより、これからどうしましょう。その紙の動きを眼球だけで追っていたら、紙の一つがこちらに飛んできて私にへばりついた。ぞっとして振り払うと、紙にこびりついていた砂がざらざら落ちてきて私の靴下を汚した。その砂を払う自分の手も、ゴムのきつい靴下に締めつけられているその足も、ゴム人形のような艶の無い朱色をしていて、掃除の時の活気はどこへやら、私もゴミ化している。それを見た私は死にたーい、と思った。しかし私はそれが嬉しいのである。ほのかにそんな落ちぶれた自分を格好よく思いながらわくわく、私はさらに寝転がってみた。ポーズ。私はこうやってすぐ変人ぶりたがる。あさましく緊張しながら奇抜な行動をやらかす。こんなふうに地べたに横たわるのが私の表現できる精一杯の個性なのだ。アスファルトに頬を押し付けると、油臭い地面の上に私のほつれた黒髪が広がった。軽い風が吹いて、何度もスカートがはためき、その度にいちいちパンツが見える。けどそれが?腐ったようにじっとしていた。

P23

例えばこの若さ、新鮮な肉体。やがて消えてゆく金で買えない宝物の一つ。私は大人になってから、あるいはもっと近い将来に、今のこの時間を無駄遣いだったと悔やむんだろうか。あの五月の時の私、受験生になった途端登校拒否してさらに自宅勉強もせず、何やってたかというとこんふうにゴミ捨て場に転がり異端児気取りで、くそっと思うのだろうか。思うような気がする、いや絶対思う。こんな、ほら、目の前のゴミの間をネズミが、もりもり太ったネズミが走って、こんなこと、絶対良い思い出なんかにはならない。

まだお酒も飲めない車も乗れない、ついでにセックスも体験していない処女の十七歳の心に巣食う、この何者にもなれないという枯れた悟りは何だというのだろう。歌手になりたいわけじゃない作家になりたいわけじゃない、でも中学生の頃には確実に両手に握り締めることができていた私のあらゆる可能性の芽が、気づいたらごそっと減っていて、このまま小さくまとまった人生を送るのかもしれないと思うとどうにも苦しい。もう十七歳だと焦る気持ちと、まだ十七歳だと安心する気持ちが交差する。この苦しさを乗り越えるには。分かっている、必要なのは、もちろんこんなふうにゴミ捨て場へ逃げ出すのではなく、前進。人と同じ生活をしていたらキラリ光る感性がなくなっていくかもなんて、そんなの劣等性用の都合の良い迷信よ、学校に戻ってまたベル席守ることから始めなさい!光一口調で自分を叱ってみたが、しかし、やっぱり私は動けなかった。自分にはほとほと呆れ、仰向けになってさびれたコンクリートの四角の切れはしからのぞいている暮れかけの空を見上げる。

光一の言葉、時々母にも言われる言葉を思い出した。

あんたにゃ人生の目標が無いのよ。

 

P43

青木さんほどではないにしても、かなりの不器用である私は後ろ暗い気分で母のその言葉を聞いていた。高倉健のようなプラスの不器用さではなく、この青木さんのような、相手の人間を思わずのけぞらせてしまう程の異様な一途さをぶっつけてくる不器用さを持った人は、実際迷惑だ。怖い。よくクラスのみんなは、自分を可愛く見せるためにわざわざ不器用なふりをしてドジッ子を装う娘達をぶりっこなどと呼んで嫌うが、この本物の不器用よりのそのぶりっこ達の作られた不器用さの方が余程マシだと思う。媚びの武器としての不器用は軽い笑いを誘う可愛いものだけれど、本当の不器用は、愛嬌がなく、みじめに泥臭く、見ている方の人間をぎゅっと真面目にさせるから。

2009年1月24日土曜日

from "Woman In The Fifth" D. Kennedy

P146

... Rooftops are romantic- not just because they are, metaphorically speaking, adjacent to the sky, but also because they are hidden away. Stand on a rooftop and you cannot help but have simultaneous thoughts about life's infinite possibilities and the omnipresent potentiality for self-destruction. Look to the heavens and you can think, Everything is possible. Look to the sky and you can also think, I am insignificant. And then you can shuffle your way to the edge of the roof and look down and tell yourself, Just two steps and my life would be over. And would that be such a horrendous thing?

屋根にはロマンがある。空と接しているからというメタファー的な意味合いだけでなく、見えない所にあるからだ。屋根の上に立つと、人生の無限の可能性と、共存する破滅の可能性を意識せずにはいられない。天を見上げ、なんだってできる、と思う。同じように天を見上げ、自分はちっぽけだ、とも思う。そして屋根の端まで歩いていって下を見て思う:一歩飛び降りれば死か。それだって、たいしたことじゃない。

「綿矢りさ」に夢中

wataya_risa

 

去年、どうして彼女の作品を呼んだのか、きっかけが思い出せない。家庭教師先で話題に上ったことはあったと思う。とにかく、何の期待もしないで読んだ彼女の

 

『蹴りたい背中』

 

がすばらしかったのだ。続けて『インストール』も買って読んだ。

 

いやぁ、しかし本名が山田梨沙で(同じ名字じゃねぇか!)、しかも同い年か。

鋭い感性と美しい文体を操る美人。惚れました。

そして彼女は私の教え子の通う、早稲田大学の卒業生でもある。

今年、『蹴りたい背中』『インストール』2回目、読みました。

 

次は2006年発表の『夢を与える』を読んでみよう。

 

気に入っている(他人とは思えない?)箇所を一部抜粋↓

『蹴りたい背中』より

P76

「なんで方耳だけでラジオを聴いているの?」

振り向いた顔は、至福の時間を邪魔されて迷惑そうだった。発見。にな川って迷惑そうな顔がすごく似合う。眉のひそめ方が上品、片眉が綺麗につり上がっている、そして、私を人間と思っていないような冷たい目。

「この方が耳元でささやかれてる感じがするから。」そう言って、またラジオに向き直る。

ぞくっときた。プールな気分は収まるどころか、触るだけで痛い赤いにきびのように、微熱を持って膨らむ。またオリチャンの声の世界に戻る背中を真上から見下ろしていると、息が熱くなってきた。

この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ。

瞬間、足の裏に、背骨の確かな感触があった。

 

P89

...誰かとしゃべりながら歩いているよりも一人で黙りこくって歩いていたほうが集中力が増すはずなのに、どうしてあの子たちより私の方が不注意なんだろう。しかもうつむいて歩いているのにこんな派手な色のケーブルに気づかないなんて。私は、見ているようで見ていないのだ。周りのことがテレビのように、ただ流れていくだけの映像として見えている。気がついたら教室から体育館に移動しているし。もちろん廊下を渡ったり階段を降りたりしてここまで来たんだろうけれど、自分の内側ばっかり見ているから、何も覚えていない。学校にいる間は、頭の中でずっと一人でしゃべっているから、外の世界が遠いんだ。

 

 

P109

認めてほしい。許してほしい。櫛に絡まった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみとってごみ箱に捨ててほしい。

人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに。

 

 

P111

絹代のグループの他の子たちも、興味津々の顔をして寄ってくる。この人達は何かと私を囲んで話をしようとする。きっと絹代や彼らの”良心”からだろう。でも彼らには薄い膜が張られている。笑顔や絡まる視線などでちょっとずつ張られていく膜だ。膜は薄くて透けているのにゴム製で、私が恐る恐る手を伸ばすと、やさしい弾力で押し返す。多分無意識のうちに。そしてそんなふうに押し返された後の方が、私は誰ともしゃべらなかった時よりもより完璧にひとりになる。

 

 

P170

同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼はまったく別のことを考えている。こんなにきれいに、空が、空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、ぜんぜん分かり合えていないんだ。

 

P171

「オリチャンに近づいていったあのときに、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた。彼女のかけらを拾い集めて、ケースの中にためこんでた時より、ずっと。」

 

 

P172

川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が持ち上がって水を濁すように”あの気持ち”が底から立ち上ってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った。

2009年1月22日木曜日

夏目漱石:「それから」より

P35-36

(父:)

「そう。平岡。あの人なぞは、あまり出来の可い方じゃなかったそうだが、卒業すると、すぐ何処かへ行ったじゃないか」

(代助:)

「その代わり失敗(しくじっ)て、もう帰ってきました」

老人は苦笑を禁じ得なかった。

「どうして」と聞いた。

「つまり食う為に働くからでしょう」

老人にはこの意味が善く解らなかった。

 

P85 平岡の話、代助の返事

「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働いている。又これからも働く積もりだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。-笑わないたって、要するに笑ってると同じことに帰着するんだから構わない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何も為ないじゃないか。君は世の中を有のままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違いない。僕は僕の意志を現実社会に働きかけて、その現実社会が、僕の意志のために、幾分でも、僕の思い通りになった云う確証を握らなくっちゃ生きていられないね。そこに僕と言う者の存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えているだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。何故と云って見給え。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕のほうが本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑うことが出来ない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃ不可ないんだろう。」

「何笑っても構わない。君が僕を笑う前に、僕は既に自分を笑っているんだから。」

 

p190 代助の思考:労働について

もし馬鈴薯(ポテト)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもうだめである

 

P288 代助の兄、代助に向かって

「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯いたまま顔を上げなかった。

「愚図だ」と兄が又云った。「普段は人並み以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖のように黙っている。そうして、陰で親の名誉に関わる様な悪戯をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」・・・「じゃ帰るよ」・・・「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。

2009年1月1日木曜日

貧乏が悪いんだ:課長島耕作より

場面:宿屋にて。すっぽん屋の女将(以下、女将)と島耕作。すでに一戦交えたあと。

女将:
私、人一倍お金に執着があってね.....
守銭奴って言われたこともあるわ

島耕作:
子供の頃君の家が貧しかったとか?

女将:
図星よぉ。極貧!

今じゃ、全国どこへ行っても見られない風景だけど
私んち、橋の下に不法に建てられたバラックだったの.....
昭和30年代の日本では、決して珍しい風景じゃなかった

小学生の私と、弟と、母親の3人暮らし

父親は腕のいい職人だった
だけど女作って家族を置いたままどこかへ行っちゃったのね

残された母親は私たちを育てるため
女手一つでがんばってくれた

私達は貧乏で身なりが汚かったので
よく苛められたわ

そんな、ある時家庭訪問をやることになって
先生が、我家(うち)にも来ることになったの

私は、母親に
「恥ずかしいから先生に来てもらうのイヤだ」
って言ったの

そしたら、ひどく叱られたわ
「貧乏なんて、ちっともはずかしくないんだよ
そんな情けないことを言うなんて、もううちの子じゃない」
って

「だってお母さん、うちは先生に出すお菓子も買えないよ」
「大丈夫よ、そんなこと子供が気にしなくても」
「どうするの?」

「お母さんはね、こう見えても
おはぎ作らせるとうまいんだ。おばあちゃんから習ったんだから」
「ほんと?」
「ほんとうさ。 先生には、とびっきりおいしい
手作りのおはぎをこしらえて出すから安心しな」

家庭訪問の前夜から母親はあずきを水に浸し
次の日は朝早くから煮込んでいた

私と弟はわくわくしながら
そばで見ていたの

出来上がった、おはぎをみんなで味見したら
それは、もう、とても
甘くておいしかった.....
あのときの味は今でも忘れないわ

絶対に先生も喜んでくれる
そう信じていた

ところが

先生は、出されたおはぎに手をつけなかったのね

帰りぎわに母親が言った
「先生、手作りですけどお嫌いでなかったらどうぞ、
お召し上がりになって下さい」

「いえ、せっかくですが今、
おなががいっぱいなのでもらって帰ります」
先生はそう言って紙につつんでカバンの中にしまったわ

それから一時間後、私は土手下の草むらで遊んでいて
投げ捨てられているおはぎを発見した

紙包みからはみだしたおはぎが
無残に散らばっていたわ
それが私の母の作ったおはぎだということは
包んである紙を見てわかった

どうして先生が捨てたのか
いろいろ考えた

考えながら涙が流れて
とまらなかった

母が作ったおはぎが
悪いんじゃない

捨てた先生が
悪いんじゃない

貧乏が悪いんだ

島耕作:
.....

女将:
そりゃそうよね。
あんな不潔な所で作られたおはぎなんて
誰も食べないわよね

この事件があって私はお金に
執着するようになったのかもしれない

今の私の拝金主義はあの時の貧乏の恐怖
から来ているような気がする

島耕作:
.....

女将:
嫌な女でしょ?

島耕作:
いや、そんなことはないさ

スルルル(女将が宿の窓を開ける)

女将:
うわあ、ここから東京タワーがよく見える

島耕作:
お、おい、外から見られちちゃうぞ

女将:
平気よ!減るもんじゃないし
こんな私、嫌いになった?

島耕作:
大好きになった

(課長島耕作14巻:弘兼憲史1991)

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