2009年1月1日木曜日

貧乏が悪いんだ:課長島耕作より

場面:宿屋にて。すっぽん屋の女将(以下、女将)と島耕作。すでに一戦交えたあと。

女将:
私、人一倍お金に執着があってね.....
守銭奴って言われたこともあるわ

島耕作:
子供の頃君の家が貧しかったとか?

女将:
図星よぉ。極貧!

今じゃ、全国どこへ行っても見られない風景だけど
私んち、橋の下に不法に建てられたバラックだったの.....
昭和30年代の日本では、決して珍しい風景じゃなかった

小学生の私と、弟と、母親の3人暮らし

父親は腕のいい職人だった
だけど女作って家族を置いたままどこかへ行っちゃったのね

残された母親は私たちを育てるため
女手一つでがんばってくれた

私達は貧乏で身なりが汚かったので
よく苛められたわ

そんな、ある時家庭訪問をやることになって
先生が、我家(うち)にも来ることになったの

私は、母親に
「恥ずかしいから先生に来てもらうのイヤだ」
って言ったの

そしたら、ひどく叱られたわ
「貧乏なんて、ちっともはずかしくないんだよ
そんな情けないことを言うなんて、もううちの子じゃない」
って

「だってお母さん、うちは先生に出すお菓子も買えないよ」
「大丈夫よ、そんなこと子供が気にしなくても」
「どうするの?」

「お母さんはね、こう見えても
おはぎ作らせるとうまいんだ。おばあちゃんから習ったんだから」
「ほんと?」
「ほんとうさ。 先生には、とびっきりおいしい
手作りのおはぎをこしらえて出すから安心しな」

家庭訪問の前夜から母親はあずきを水に浸し
次の日は朝早くから煮込んでいた

私と弟はわくわくしながら
そばで見ていたの

出来上がった、おはぎをみんなで味見したら
それは、もう、とても
甘くておいしかった.....
あのときの味は今でも忘れないわ

絶対に先生も喜んでくれる
そう信じていた

ところが

先生は、出されたおはぎに手をつけなかったのね

帰りぎわに母親が言った
「先生、手作りですけどお嫌いでなかったらどうぞ、
お召し上がりになって下さい」

「いえ、せっかくですが今、
おなががいっぱいなのでもらって帰ります」
先生はそう言って紙につつんでカバンの中にしまったわ

それから一時間後、私は土手下の草むらで遊んでいて
投げ捨てられているおはぎを発見した

紙包みからはみだしたおはぎが
無残に散らばっていたわ
それが私の母の作ったおはぎだということは
包んである紙を見てわかった

どうして先生が捨てたのか
いろいろ考えた

考えながら涙が流れて
とまらなかった

母が作ったおはぎが
悪いんじゃない

捨てた先生が
悪いんじゃない

貧乏が悪いんだ

島耕作:
.....

女将:
そりゃそうよね。
あんな不潔な所で作られたおはぎなんて
誰も食べないわよね

この事件があって私はお金に
執着するようになったのかもしれない

今の私の拝金主義はあの時の貧乏の恐怖
から来ているような気がする

島耕作:
.....

女将:
嫌な女でしょ?

島耕作:
いや、そんなことはないさ

スルルル(女将が宿の窓を開ける)

女将:
うわあ、ここから東京タワーがよく見える

島耕作:
お、おい、外から見られちちゃうぞ

女将:
平気よ!減るもんじゃないし
こんな私、嫌いになった?

島耕作:
大好きになった

(課長島耕作14巻:弘兼憲史1991)

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