2009年1月22日木曜日

夏目漱石:「それから」より

P35-36

(父:)

「そう。平岡。あの人なぞは、あまり出来の可い方じゃなかったそうだが、卒業すると、すぐ何処かへ行ったじゃないか」

(代助:)

「その代わり失敗(しくじっ)て、もう帰ってきました」

老人は苦笑を禁じ得なかった。

「どうして」と聞いた。

「つまり食う為に働くからでしょう」

老人にはこの意味が善く解らなかった。

 

P85 平岡の話、代助の返事

「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働いている。又これからも働く積もりだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。-笑わないたって、要するに笑ってると同じことに帰着するんだから構わない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何も為ないじゃないか。君は世の中を有のままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違いない。僕は僕の意志を現実社会に働きかけて、その現実社会が、僕の意志のために、幾分でも、僕の思い通りになった云う確証を握らなくっちゃ生きていられないね。そこに僕と言う者の存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えているだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。何故と云って見給え。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕のほうが本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑うことが出来ない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃ不可ないんだろう。」

「何笑っても構わない。君が僕を笑う前に、僕は既に自分を笑っているんだから。」

 

p190 代助の思考:労働について

もし馬鈴薯(ポテト)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもうだめである

 

P288 代助の兄、代助に向かって

「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯いたまま顔を上げなかった。

「愚図だ」と兄が又云った。「普段は人並み以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖のように黙っている。そうして、陰で親の名誉に関わる様な悪戯をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」・・・「じゃ帰るよ」・・・「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。

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